新年、働くことの意味をあらためて思う
2008年01月09日
新年あけましておめでとうございます。年初の担当が回ってくるとは、何だか幸先がいいような……。
お正月は実家に集まって過ごすのがわが家の行事で、今年も帰省しておりました。実家では夏頃から家の建て替え計画がスタートする予定のため、置きっぱなしになっている私のモノの整理を母から頼まれました。
私は結構モノを捨てないタイプなので、事務所の机の整理をはじめると、いまだに独立系FP会社に勤めていた頃(15年以上前)に書いたつまらないメモが出てきたりして、周りのメンバーにあきれられることしばしば。そんなわけで、物置から小学生の頃の絵日記や中学・高校の頃の教科書・ノート、大学時代に至っては卒論の資料や草稿から清書、バイト代の支払い明細まで、わんさか出てきました。なかには、昔学んだことを思い出した折りに、「あのノートが残っていれば」と思っていたものまであったので、「捨てないのもいいことだ」と感じ入ることしきりです。
それらに接していると、当時の記憶が一気に蘇ってきます。大学4回生のときのモノには、教育実習に関連する様々な資料や実習先の生徒からもらった色紙、また就職活動に関する資料や就職活動中のメモ書きがあったのですが、もともとは教師志望だったことや、稼ぎを持ちたかった自分を思い出しました。
私が卒業した82年当時は、地元での四大卒女子の就職事情には厳しいものがありました。金融機関にやや枠があるくらいで、あとの業種はほんのわずか。教職なら男女差がないことや、習ってきた先生に恵まれていたため教職へのあこがれが強かったことから、教職を第一志望としていたのでした。教員試験も何とかパスし、あとは採用待ちとなったのに胸が膨らんだのも昨日のことのようです。
けれども、結局就職したのは証券会社。新卒での就職活動をするのも一生に一度だから経験してみようと、ダメもとで金融機関回りをしたところ、秋に内定をもらってしまったからでした。教員の採用が決まるのは3月で、もしかしたら採用なしという可能性もあり、教職への思いはひとまずおいて、確実に就職できるほうを選んだというわけです。
そもそもなぜ稼ぎたかったのか。学生時代の私は小生意気だったせいもあって、大人からの「学生の分際で」という圧力に「経済的な独立なしには言いたいことも言えなければやりたいこともできない」と強く思っていたからだったと記憶しています。
就職して実際に稼げるようになって、自由に使えるお金を手にし、小金も貯めることができました。そういった経済的な裏付けがあったため、その後は転職や上京や独立も思い切って行うことができました。経済的な独立により、行動の自由はもちろん、精神的な自由を得たことを覚えます。
最近は健康上の問題が生じたことからあまりムリな働き方はしていなかったのですが、仕事から完全に離れられなかったのは、私自身の経済的な裏付けをなくしてしまうと精神的な自由を失うような気がしたからということが、過去の自分を思い出すことでハッキリとわかった次第です。
私にとって働くことの意味は、経済的な自立ありきでスタートしていますから、自分ひとりは食べていけることが非常に大事だったわけです。やりがいがあるとか、世の中の役に立っているなどという意味づけは、後からのものでした。
でも、そんなものかなとも思います。まず就職して、証券会社が合わなかったら教員試験を受け直そうなんて思っていたのに、いつの間にか金融の世界が面白くなって現在に至っています。あのとき教職を選んでいたら今どうしていたか、想像もつきません。
ここまで何かに導かれたと思えば、元気になって働けることのありがたさを、年初に噛みしめたいと思います。
お正月は実家に集まって過ごすのがわが家の行事で、今年も帰省しておりました。実家では夏頃から家の建て替え計画がスタートする予定のため、置きっぱなしになっている私のモノの整理を母から頼まれました。
私は結構モノを捨てないタイプなので、事務所の机の整理をはじめると、いまだに独立系FP会社に勤めていた頃(15年以上前)に書いたつまらないメモが出てきたりして、周りのメンバーにあきれられることしばしば。そんなわけで、物置から小学生の頃の絵日記や中学・高校の頃の教科書・ノート、大学時代に至っては卒論の資料や草稿から清書、バイト代の支払い明細まで、わんさか出てきました。なかには、昔学んだことを思い出した折りに、「あのノートが残っていれば」と思っていたものまであったので、「捨てないのもいいことだ」と感じ入ることしきりです。
それらに接していると、当時の記憶が一気に蘇ってきます。大学4回生のときのモノには、教育実習に関連する様々な資料や実習先の生徒からもらった色紙、また就職活動に関する資料や就職活動中のメモ書きがあったのですが、もともとは教師志望だったことや、稼ぎを持ちたかった自分を思い出しました。
私が卒業した82年当時は、地元での四大卒女子の就職事情には厳しいものがありました。金融機関にやや枠があるくらいで、あとの業種はほんのわずか。教職なら男女差がないことや、習ってきた先生に恵まれていたため教職へのあこがれが強かったことから、教職を第一志望としていたのでした。教員試験も何とかパスし、あとは採用待ちとなったのに胸が膨らんだのも昨日のことのようです。
けれども、結局就職したのは証券会社。新卒での就職活動をするのも一生に一度だから経験してみようと、ダメもとで金融機関回りをしたところ、秋に内定をもらってしまったからでした。教員の採用が決まるのは3月で、もしかしたら採用なしという可能性もあり、教職への思いはひとまずおいて、確実に就職できるほうを選んだというわけです。
そもそもなぜ稼ぎたかったのか。学生時代の私は小生意気だったせいもあって、大人からの「学生の分際で」という圧力に「経済的な独立なしには言いたいことも言えなければやりたいこともできない」と強く思っていたからだったと記憶しています。
就職して実際に稼げるようになって、自由に使えるお金を手にし、小金も貯めることができました。そういった経済的な裏付けがあったため、その後は転職や上京や独立も思い切って行うことができました。経済的な独立により、行動の自由はもちろん、精神的な自由を得たことを覚えます。
最近は健康上の問題が生じたことからあまりムリな働き方はしていなかったのですが、仕事から完全に離れられなかったのは、私自身の経済的な裏付けをなくしてしまうと精神的な自由を失うような気がしたからということが、過去の自分を思い出すことでハッキリとわかった次第です。
私にとって働くことの意味は、経済的な自立ありきでスタートしていますから、自分ひとりは食べていけることが非常に大事だったわけです。やりがいがあるとか、世の中の役に立っているなどという意味づけは、後からのものでした。
でも、そんなものかなとも思います。まず就職して、証券会社が合わなかったら教員試験を受け直そうなんて思っていたのに、いつの間にか金融の世界が面白くなって現在に至っています。あのとき教職を選んでいたら今どうしていたか、想像もつきません。
ここまで何かに導かれたと思えば、元気になって働けることのありがたさを、年初に噛みしめたいと思います。
生活設計塾クルー 浅田里花
「日経マネーDIGITAL」FP快刀乱麻より (c)日経BP社 日経マネー編集部
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