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二ッポン企業の底ヂカラに学べ!
「30年間、大逆風。それでもやってこれたのは、京セラだからだと思います」

オイルショックを受け、“21世紀はクリーンエネルギーの時代”という社長・稲盛(現名誉会長)の先見の明から、京セラの太陽光発電の開発事業はスタート。それは1975年、シャープ・松下電器産業・京セラなどの日本メーカーと海外企業2社が合弁で、ジャパン・ソーラー・エナジー株式会社を設立すると同時に始まった。

「結局その合弁会社の業績はひどい赤字で。わずか数年で解散することになったんです。そういう状況では一緒にやっている他社に申し訳ない、と、負債は京セラがすべて肩代わりして引き受け先になりました。」

選りすぐりの研究者たちで結成されたジャパン・ソーラー・エナジーだったが、志を同じにした仲間たちと別れ、皆それぞれの会社へと戻ることとなった。しかし……

「ほとんどの研究者たちが、“この場に残って太陽光発電の研究を続けたい”と言ってくれたんだそうです。彼らの情熱もさることながら、『世のため人のため』という稲盛の理念が浸透していたことが、京セラの太陽電池部門の社員にはなにより嬉しかった。その小さな奇跡が、現在の京セラの太陽光発電事業の礎になっているのです」

それは、大プロジェクトが挫折し、消えそうな中でひっそりと起こった“奇跡”だった。現場に残った研究者たちは、再び京セラのもとで太陽電池の研究開発に明け暮れた。しかし当時は、これといった需要もなく、事業自体は相変わらず赤字が継続。75年から始まった京セラのソーラー事業は、つい先年まで、30年あまりもの長い間、不採算事業として続くことになる。

「会社にとってはお荷物状態だったと思います。同じ会社で働いているほかの部門の人に申し訳なくって……(苦笑) 国内には売るさきがありませんでしたから、赤字も当然だったんです。私は1990年に入社しましたが、その頃もまだ、この部門のみんなは何とかならないものか? ともがいている状態でしたね。それでも事業が続けてこられたのは、稲盛の強い意志と、それを共有した熱い仲間たちがいたからこそなんです」

京セラが開発し、世界のスタンダードとなった新技術

単独事業として新たにスタートした京セラのソーラー事業。最初に開発に成功した方式はリボン型だ。これは、太陽光発電システムの原型といわれるもの。黒い紙ひものような、リボンと呼ばれる結晶を並べて1枚のパネルを製造していた。しかしリボン型では、太陽光で電極を刺激し、電力へと変えていく変換効率が低く、製造単価も高いままだった。

「このままではあまりに価格が高くて、導入を考えてくれているお客様がいても、とても手が届かないという……。さらなる性能の向上と将来的なコストを必死になって考えたんですね」
その後京セラは、砕いたシリコンをサイコロ型に鋳造、薄くスライスして1枚のタイルにするという、画期的な“多結晶型”の開発に世界で初めて成功する。これが今でいう“セル”という製品となり、これを縦横に並べて1枚のパネルを形成する、現在もっともポピュラーな太陽光発電システム「多結晶型パネル」となった。太陽光発電の基礎は、京セラの技術開発への思いが生み出したものなのだ。

「鋳造された、巨大なサイコロみたいなシリコンをスライスしてタイル状にする技術なんですけど、実はセラミックを扱っていたウチとしては十八番みたいな技術でした。多結晶体に方式を移行して、変換効率も格段に向上しましたし、トータルな性能も耐久性もアップしました。それから約30年、今でもウチの多結晶型シリコン太陽電池は世界最高レベルの変換効率を更新し続けています」

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